日本対がん協会

第97回 がんになって気づいた『私の知らない世界』/木口マリの「がんのココロ」

掲載日:2026年10月15日

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「がん」や「医療」の存在は、誰でも知っているもの。当然、がんに罹患したときの私も知っていました。しかし当時30代だった私にとってはちょっと遠い世界で、病院には健康診断のほか年に1回行くかどうか……という程度でした。

 ましてや大学病院のような大病院で高度な医療を受けまくるような事態になるとは思ってもみなかったのだけど、いやはや意外なことというのはあるものです。

 そして一歩足を踏み入れてみれば、オドロキの連続。今回は、数多ある「がんになって気づいた、私の知らない世界」の一部を紹介したいと思います。

“若いがん患者って意外と多い!?”な世界

 がんになって最初に驚いたのが、若いがん患者の多さ。もちろん病棟には高齢の人もいたのだけど、「こんなにいるの!?」というくらい同世代の若者が治療をしていました。

「日本人の2人に1人が生涯でがんになる」という言葉が広く知られるようになって久しいものの、私ががんになった当時、周囲にがん経験者は年配の人が1人いたくらいで(早期発見)、働く世代の友人知人には皆無でした。周囲からは「珍しい病気になった人」と思われていたし、私自身もそう感じていました。

 実際、若い世代(AYA世代/15歳〜39歳を指す)でがんになった人は、例年、がん罹患者全体の2%程度。かなり少数といえます。(参考:国立がん研究センターがん情報サービス「がん統計」(全国がん登録)
https://ganjoho.jp/reg_stat/statistics/data/dl/index.html)

がんになって出会った若い世代のがん仲間と。

 でも、私がいた病棟での実感は、2%という数字の印象とはかけ離れているように思いました。1カ月強の入院期間にも、入れ替わり立ち替わり、がん患者とおぼしき人が入っては治療を受けていったのです。

 当時そこは女性専用の病棟で、若年で罹ることも多い乳がんや子宮がんの患者が多かった、ということもありますが、それにしてもこんなにいるとは(ついでにがん治療の入院の短さにも驚いた)。以降、現在まで多くの若いがん経験者と出会ってきました。今では、私にとってがんは「珍しいもの」ではなくなっています。

 しかし、これで2%なら、全体でどれだけいるのだろう。実際に集めてみたら、きっとそのとてつもない多さに驚愕するはず。本当に、今やがんは「誰にでも起こり得る普通のこと」なのかもしれません。

“ココロの未知”の世界

AYA weekでの「がんフォト*がんストーリー」の作品展示@がん研有明病院。作品にはたくさんのAYA世代のがん経験者や医療者の想いが描かれています。

 がんと対峙してからというもの、それまでの人生で出会ったことのないような「心の未知の世界」に何度も足を踏み入れることになりました。

 初めてがんが身近になったときに感じたのは、強烈な孤独感です。すぐそこには同僚や友人や家族がいて、いつもと変わらない日常が流れているのに、自分だけ異空間に連れ出されてしまったかのようでした。

 姿は見えるし会話はできるけれど心は分厚い鏡の向こう側にいて、私がそこにいなくなったことに誰一人気づいていないような感覚。一瞬で隣にいる親しい人とも通じ合えなくなる「心の孤独」は、今思い返しても真に恐ろしい体験でした。

 そのほかにも、医師から「子宮や卵巣などを全て取りましょう」と言われたときは、しばらくの間「食べる」という生き物の基本行動すらできなくなるほど心が憔悴してしまったし、突如人工肛門になった直後は、心の扉がバタンと閉じたようで病棟のベッドに横たわったままほとんど何も話さなくなってしまいました。

 心というのは、実にさまざまな反応の仕方を持っているものです。いずれも、心を遮断することでそれ以上の刺激から自分を守ったり、休ませようとしたり、メンタルが完全に壊れないようにするためのセーフティ機能なのかもしれないと個人的には解釈しているのですが、その渦中にいるときは耐えることしかできません。

 ただ、耐えているうちにほんの少しずつ何かが変わっていって道が現れたり、道を探す手立てを見つけられるようになったりするのも「心の未知の世界で起こること」と感じています。そのときは道とも思えないような道かもしれません。でも「変化は必ず起こる」と思っているだけでも少しホッとできそうな気がします。  

“普通に出る”世界

 がんになって「日常のありがたみを知った」という人は多いのではないでしょうか。かくいう私もその一人です。

 強くそう感じたのは、大なり小なりの排泄障害を経てのこと。手術のときに膀胱の神経を切らざるを得なかったために、半年ほど「トイレに行きたい」という感覚すらない状態になりました。人工肛門は、新たな排泄機能を体に造るというもので、かなり通常とは異なります。どちらもすぐに慣れたのだけど、それらを経験してみて思ったのは、「トイレに行ったら出るって、ものすごく良い機能だったんだ!」ということです。

入院していた病棟からの眺め。これも素晴らしい出会い。

 人間の体が精密に作られているのは分かっていたけれど、これまで何十年も生きてきて、初めて排泄機能のすごさに心底感心し、体への感謝の念も湧きました(別の排泄システムを編み出す医療もオドロキですが)。

「私たちは、本当に素晴らしいものを持っていたのだなぁ」と、童話『青い鳥』の意味を初めて理解した気がしました。

知らない世界は、冒険でもある

「未知の世界」というのは、それだけ聞くとロマン溢れる響きがあります。なりたくもない病気のせいで無理にその世界に放り込まれるのはロマンどころではないものの、たくさんの未体験ゾーンを辿ってきたように思います。「がん」から得る経験にはそれだけの深さがあるのでしょう。

 それはある意味、人生における旅でもあります。まるで、困難に直面しながらさまざまなことを学んでいく冒険小説の主人公のよう。もちろん、そう思えないときも多いのだけど、知らない世界を歩くなかで、そう考えてみるのもアリかもな、と思っています。

木口マリ
「がんフォト*がんストーリー」代表 執筆、編集、翻訳も手がけるフォトグラファー。2013年に子宮頸がんが発覚。一時は人工肛門に。現在は、医療系を中心とした取材のほか、ウェブ写真展「がんフォト*がんストーリー」を運営。ブログ「ハッピーな療養生活のススメ」を公開中。