日本対がん協会

第96回 がん相談に耳を傾ける、その先で/木口マリの「がんのココロ」

掲載日:2026年9月3日

  • FaceBook
  • X
  • Line

「あの言い方で、本当に正解だったのだろうか」――しばらくの間、そんな思いが頭の中でぐるぐるすることがあります。

 がんを公表して以降、時折、がんで悩む人から相談を受けるようになりました。知人・友人の場合もあれば、イベントでたまたま出会ったり、ブログなどを通じて連絡をくれる人もいます。

「この人と話せば何か得られるかも」という思いがあって私を選んでくれたのだろうし、私もできる限り真摯に向き合い、状況に合う言葉を返すようにしています。それでもやはり、帰り道でやりとりを思い返すと、けっこうぐるぐるしてしまうのです。

たった一言のズレだけど…

 そもそも私はあまり人付き合いが得意ではありません。どんな話題であれ、対面で話した後にぐるぐるすることは多々あります。最近は「自分が思うほど、みんな気にしていない」と何となく気づいて「ま、いいか」と、思考を放置できるようになってきたのだけど、深く悩んでいる人の相談では、そういうわけにもいきません。

 失言とまではいかなくても、これまで、おそらく残念な気持ちにさせてしまったのではと思うことがいくつかありました。

 例えば、これから抗がん剤治療を始めるという女性と話したときのこと。写真展で私の「脱毛コスプレ」の写真を見て、「この人と話してみたい」と感じたそう。その写真が気になったならと、脱毛が意外にも楽しかったという話をしました。

写真展で展示した、キグチの「脱毛コスプレ」写真

 女性も楽しそうにしていて、そんなこんなでしばらく話が弾みました。ところが調子に乗った私は「まつ毛も眉毛も抜けて、カエルみたいになっちゃって(笑)」と言ってしまった。その瞬間、彼女の表情がサッと暗く沈んだのを感じました。急に現実に引き戻されたような面持ちで、それ以降の話は何も届かなくなったようでした。

 カエルの話はがん仲間との定番の笑い話みたいなものだったし、副作用に対する恐怖心を和らげられるのではという思いもありました。しかし、抗がん剤という道をこれから通らなければならない彼女にとっては、自分の「なりたくない姿」をリアルに思い描くことになったのかもしれません。たった一言のズレのようなものだったけれど、不安にさせてしまったことをとても申し訳なく思いました。

 ほかにも、良かれと思っての言葉も、相手にとっては「受け止めきれない情報」だったのではと反省することがたびたびありました(何度もやってしまうキグチ……)。

 そこにはおそらく、「経験者」と「現在進行形でその渦中にいる人」の、知らぬ間に生じる温度差があるのだと思います。

 もとより、がんになって間もないころは「やっと自分を保っていられる」という綱渡りの最中のような精神状態のこともあるでしょう(少なくとも、私はそうだった)。そんなときは、普段ならスルーできる言葉も、ありえないくらいグラグラと心が揺らいでしまう。

 自分でもそんな経験をしてきてはいても、やはり時間が経つにつれ“初心”は変化していくもの。その思いは「痛みをともなう感情」から「過去にあった事実」になってしまいます。そんな温度差があることを心に留めておかなければと思いました。

自分なりに考える理想のかたち

私のホッと落ち着く景色①お香の煙

 がん治療には、どの治療法にするか、周囲の人にどこまで伝えるか、仕事をどうするかなど、選択をしなければならない場面がたくさんがあります。

 人は、それぞれに大切にしたいものが違います。その「価値観の違い」は、本当に大きいのだと、皆さんの話を聞く中で実感しました。

 私は、基本的に「その人が望む選択をすればいい」というスタンス。それというのも、どんなことであれ、最終的には「“自分で”決めた」としっかり認識することが、後々、後悔を生まないために大きな意味を持つと考えているからです。

 そのため、どんな選択であってもまずは「ふむふむ」と聴くようにしています。自分の理解を超えた話だとびっくりすることはありますが、ひとまず「ふむふむ」。

 もちろん、個人的に「別の選択肢の方がいいのでは」と思うことはあるのだけど、大事なのは何を選ぶかより「なぜ、それを選ぼうと考えたのか」だと思うのです。例えば治療法の選択の場合、もしかしたら医療や、出会った医療者に対しての不信感があるのかもしれません。知識が足りないのかもしれないし、よく調べ、深く考えたうえでの選択かもしれない。

 いずれにせよ話したいと思ったからには、何かしら引っ掛かっているところがあるのだろうし(単に肯定してもらいたい、というのも含め)、できるだけじっくり話を聴き、必要であれば私の経験や考えを伝え、場合によっては相談できる医療者や患者会につないだりもします。

 そして、落ち着いて考えられるような心の居場所をご自身の中に作ってもらえたらいいな、というのが私なりに考えた理想のかたちです。

それだけでは十分ではない、という気がしてきた

 と、ここまでは悪くないと思うのですが……。最近、「それで十分なのだろうか」と考えるようになりました。

 選択には、その人が「何を恐れ、何を信じるか」という感情が大きく影響していると思います。
 先に書いたように、大きな衝撃を受けたばかりの心理状態は、普段と全く違うことも往々にしてあります。本人も「なぜ、それを選ぼうとしているのか」が、見えづらくなっていたり、恐怖や不安のために無意識に見ないようにしていたり、ということもあるように感じました(それはある意味、心を守るための防衛本能かもしれない)。

 何より、まだがん経験が浅い人にとって「その選択をした場合/しなかった場合の未来」を具体的に想像することは難しいはず(例えば、富士山の山頂に立った経験がない私には、そこに至るまでにどんな困難があり、どんな素晴らしい景色が見えるのか、漠然としかイメージできません)。

 心が不安定になっているときなら、なおさら冷静に考えられないかもしれない。それを、「あなたの自由だから」とまとめてしてしまうのは、何か違うように思いました。

 もちろん「選択の自由はその人の手にあるべき」という思いは変わりません。ただ、状況によっては、もう少し道筋が見えやすくなるような手伝いをした方がいい場合もあるのではないか、という気がしています。  

私のホッと落ち着く景色②木々に埋もれる

 これが、相談後にいろいろぐるぐるしてみて行き着いた、今のところの私の考えです。

 私も含め、経験者というのは「役に立ちたい」に加えて、「教えたい」という気持ちが少なからずあると思います。でも相手に必要なのは、回答とは限りません。アドバイスとは、「どれが正しいか」ではなく、「その選択をした先の未来を一緒に想像すること」なのかもしれない。

 ただ、いらぬお節介は逆効果にもなるので、塩梅が難しいところではあります。これからもうまくいかないことは多いだろうけど、相手の「話したい」と思ってくれた気持ちに寄り添う気持ちは忘れずにいたい。そして私自身も経験を重ねながら、もっと人の心を学んでいきたいと思います。

※ご参考※
日本対がん協会では、「がん相談ホットライン(無料)」を設けています。患者さんやご家族、ご友人をはじめ、がんに関する心配や不安がある方ならどなたでもご利用いただけます。
TEL:03-3541-7830 (予約不要)
毎日(年末年始を除く)午前10時~午後1時、午後3時~午後6時

木口マリ
「がんフォト*がんストーリー」代表 執筆、編集、翻訳も手がけるフォトグラファー。2013年に子宮頸がんが発覚。一時は人工肛門に。現在は、医療系を中心とした取材のほか、ウェブ写真展「がんフォト*がんストーリー」を運営。ブログ「ハッピーな療養生活のススメ」を公開中。