
2009年8月、室蘭で
会場の空き地は10日前までは大人の腰まで伸びた草がおい茂っていましたが、草刈、整地も多くのボランティアの協力で整い、200メートルの立派なコースができました。ゲートは家族をがんでなくした方の手製、舞台は借りたトラックの荷台といった具合で、会場は手作り感覚がいっぱいです。コースわきに持ち込んだ職場の仲間や家族、患者会ごとのテントでは自然にサロンができ、夜はバーべキューを囲んだ語らいが続いて、メッセージを記したフラッグを手にしたチームでコースは人が絶えることなくにぎわいました。
実行委員会の中心は昨年の思いをつなぎたいという地元メンバーで、医療者や家族の方々などさまざまな委員は仕事や家事の合間の準備がとても大変だったのですが、健康な市民の方たちにまで広く呼びかけて輪が広がり多くの力が集まっていました。
前日は雨、当日は晴れたものの強風、夜からとても寒いが静かという変化にとんだ天候の中、 サバイバーたちを大切にする姿があちこちで見受けられました。
高知市中心部で10月10−11日に開催を予定している高知実行委員会は8月21日に県庁前を出発して、120キロ離れた清流四万十川の沈下橋まで、健康なランナーが交代で走り、リレー・フォー・ライフをアピールしました。
リレー・フォー・ライフは9月中旬から一ヶ月間に宮城・名取、静岡・御殿場、さいたま、川越、芦屋、広島、横浜、福岡、岐阜、徳島、高知、大分、そして来年3月に沖縄・北谷でボランティアの方々が作る各地実行委員会ごとに企画がたてられ、夜通しのウオークが行われます。
ここで主催者からのお願いです。参加のみなさんは無理をせずにチームでご参加ください。次のことをお知らせしますので、体調や天気の急変にお気をつけください。
「リレー・フォー・ライフの開催にあたり、主催者は会場内での事故に備えるため、地域の医療者でつくられた救護班に会場で常駐していただくなど、できる限りの配慮をしています。しかし、参加者の皆様は、事前に医師と相談して万全な体調管理のもとご自身の責任でご参加いただくようお願いいたします。なお、急な天候の変化などにより、一時中断または中止することもありえますので、ご了承ください」
2008年9月、横浜で
2008年10月、徳島で
マラソンが得意なクラット氏が大学の陸上競技場を24時間回り続けるなか、友人たちは30分間、クラット氏と一緒に回るごとに25ドルずつ寄付しました。その結果、1日で2万7千ドルが集まりました。
参加者を増やすために翌年からは医師、患者やその家族、友人が数人ずつのチームを組むリレー形式になりました。24時間歩き続けるなかで、参加者の間にがんと闘う連帯感が生まれたのです。
がん征圧を目指すための資金集めが目的ですが、単にそれだけではなく、地域社会全体でがんと闘うための連帯感を育む場としてリレー・フォー・ライフは大きく広がり、現在では全米4000カ所以上、世界20カ国以上で行われるようになりました。
開催方法は各地域の実情に応じて様々ですが、共通するプログラムとして「サバイバーズ・ラップ」(がんと闘う人たちの勇気を称え、がん患者やがんを克服した人たちが歩く)、「ルミナリエ」(がんで亡くなった人たちを偲び、一人ひとりの名前を記した紙袋の中にろうそくを灯して並べる)などがあります。ほかに会場によっては、バンド演奏、ゲーム、バーベキューなど多彩なイベントが繰り広げられています。
2008年10月、大分で
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がんといかに闘うか、がんに負けないで暮らす社会をつくろうというリレー・フォー・ライフの目標に向け、各地で30~85人のボランティアが実行委に加わり、家事の合間や、仕事が休みの週末に集まって企画を立てて尽力してきました。健康な人たちががんへの意識を新たにしてボランティア活動に参加していただける機運がでてきたところに大きな意味があります。
各地の実行委員会のメンバーたちが集まった会議では「小松島のようなこんな小さな会場でもできた」(徳島)、「患者と医療関係者が仲良くなることができた」(大分)、「みんなそろって何かが生まれる」(高知)、「続けることで理解が深まった」(芦屋)といった声が出ています。 もっともメッセージの発信が「足りなかった」という人もいたほか、日本対がん協会の啓発活動もまだまだ不十分だという指摘もありました。患者への勇気づけや連帯も、もっと力を入れることが重要です。
がん征圧資金を得るための寄付については各地の実行委員会が地域をこまめに回って個人寄付を募るだけでなく、イベントに必要な機材を地元企業に無償提供してもらうなど、幅広い形で取り組みました。その結果、全国の実行委員会は日本対がん協会に11,372,470円を寄付。また総収入の1%にあたる215,217円をUICC(国際対がん連合)に寄付しています。
