「あのときのがん検診で生きる今日〜生きた証を社会に還して~」
平成18年度がん征圧全国大会で、しゃくなげ会会長、小沢道子さん(写真)が発表した「福島アピール」は次の通り。
皆さんようこそ福島へ。ただいまご紹介いただきました福島市の小沢道子でございます。このような大会で発表できますことを大変うれしく思っております。
わたしはがんより生還した生き証人です。忘れもしない昭和47年6月、職場の旅行で山形県の山寺にまいりました。あの高い石段を登りきって山頂に立った時 は、自分でも健康そのものと満足感でいっぱいでございました。しかし、帰ってから間もなく、体調を崩しまして近くの病院で検査を受けました。もしやと思い ながらの検査でございました。
心配していた通り、結果は「がん」でした。当時、わたしはがんと診断されれば、死と思っておりましたので、子どもたちに本当の病名は伏せたまま入院いたし ました。夫は子どもたちを集め、「母さんはがんという病気だから死ぬかもしれない。だから、おまえたちがしっかりしなければ」といい聞かせたそうです。そ の時、子どもたちはまだ中学校3年生、高校3年生と進学を控え、どんな思いでわたしの帰りを待っていたかと思うと、胸が詰まりました。とくに三男は学力が 落ちたことを担任の先生から聞かされ、がんという病名が子どもたちにも暗い影を落としていたことに、わたしは初めて気づきました。そして「家族のために絶 対に死ぬわけにはいかない。健康で明るい母親でなければ」と誓いました。
当時はセカンドオピニオンなどという考え方がいまのようにはなく、ただただ病院や担当の先生を信じるばかりでしたが、わたしは幸せでした。がんが早期に発 見されたこと、そしてすばらしい先生や看護婦さんに出会ったことです。幸い早期発見のお陰で転移もなく50日で退院できました。しかし、後遺症はいまもな おわたしを苦しめています。
昭和49年3月、子宮がん克服者の会を立ち上げようとの声があがり、「しゃくなげ会」を結成しました。このしゃくなげ会は子宮がん検診車「しゃくなげ号」で検診を受け、子宮がんが発見され、その後の治療によりがんを克服した患者の集まりです。
わたしはいま、このしゃくなげ会で活動しています。福島県で本格的に子宮がん検診が始まったのは昭和38年からですが、その10年後には、この検診による 子宮がん克服者も多くなっていました。しかし、がんは治ったとはいえ、再発という一抹の不安は常に残っていました。しゃくなげ会の存在はこのような不安を 克服者が皆で共有し、人には話せないことをなんでも相談しあえる心の拠り所となりました。同じ病気を克服された方々と出会えたこと、それがわたしの二つ目 の幸せです。
わたしたちはがん征圧月間には毎年、駅前で街頭キャンペーンを行い、がんに対する正しい知識の普及やがんの早期発見のため必ず検診を受けましょうと、啓発 運動を行っております。昭和58年に設立されたがん克服者の会、「全国よろこびの会」にも、その設立と同時に福島県の団体として名を連ね、全国のがん克服 者の方と手を結び活動を行っています。
さて今年6月、がん対策基本法が成立しました。この中でがん患者や家族が初めてがん医療の政策立案の過程に参加できるようになったことは、わたしたちがん 克服者にとって、いままでの啓蒙運動がやっと実を結んだと大変うれしく思っています。わたしはがん対策基本法が成立したこの記念すべき年に、全国でがん克 服のためご尽力されている皆様をお迎えし、この舞台からがん征圧福島アピールとして訴えることができる幸せでいっぱいです。
あれから35年、いま生かされているこの命は検診による早期発見、早期治療の大切さをわたしに教えてくれました。わたしは自らの体験を通しこの世に生きている証として社会に還してまいります。
一つ、がんの早期発見のため、必ず定期検診を受けましょう。
一つ、がんの早期治療により、がん克服者となりましょう。
一つ、がんに対する正しい知識を持ち、広く社会への普及活動に手を取り合っていきましょう。
いまあるこの命とこの瞬間に感謝しつつ、わたしはこれからも全国へ「がん撲滅」を目指し訴えかけてまいります。皆様ご静聴ありがとうございました。
平成18年度がん征圧全国大会で、しゃくなげ会会長、小沢道子さん(写真)が発表した「福島アピール」は次の通り。
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皆さんようこそ福島へ。ただいまご紹介いただきました福島市の小沢道子でございます。このような大会で発表できますことを大変うれしく思っております。
わたしはがんより生還した生き証人です。忘れもしない昭和47年6月、職場の旅行で山形県の山寺にまいりました。あの高い石段を登りきって山頂に立った時 は、自分でも健康そのものと満足感でいっぱいでございました。しかし、帰ってから間もなく、体調を崩しまして近くの病院で検査を受けました。もしやと思い ながらの検査でございました。
心配していた通り、結果は「がん」でした。当時、わたしはがんと診断されれば、死と思っておりましたので、子どもたちに本当の病名は伏せたまま入院いたし ました。夫は子どもたちを集め、「母さんはがんという病気だから死ぬかもしれない。だから、おまえたちがしっかりしなければ」といい聞かせたそうです。そ の時、子どもたちはまだ中学校3年生、高校3年生と進学を控え、どんな思いでわたしの帰りを待っていたかと思うと、胸が詰まりました。とくに三男は学力が 落ちたことを担任の先生から聞かされ、がんという病名が子どもたちにも暗い影を落としていたことに、わたしは初めて気づきました。そして「家族のために絶 対に死ぬわけにはいかない。健康で明るい母親でなければ」と誓いました。
当時はセカンドオピニオンなどという考え方がいまのようにはなく、ただただ病院や担当の先生を信じるばかりでしたが、わたしは幸せでした。がんが早期に発 見されたこと、そしてすばらしい先生や看護婦さんに出会ったことです。幸い早期発見のお陰で転移もなく50日で退院できました。しかし、後遺症はいまもな おわたしを苦しめています。
昭和49年3月、子宮がん克服者の会を立ち上げようとの声があがり、「しゃくなげ会」を結成しました。このしゃくなげ会は子宮がん検診車「しゃくなげ号」で検診を受け、子宮がんが発見され、その後の治療によりがんを克服した患者の集まりです。
わたしはいま、このしゃくなげ会で活動しています。福島県で本格的に子宮がん検診が始まったのは昭和38年からですが、その10年後には、この検診による 子宮がん克服者も多くなっていました。しかし、がんは治ったとはいえ、再発という一抹の不安は常に残っていました。しゃくなげ会の存在はこのような不安を 克服者が皆で共有し、人には話せないことをなんでも相談しあえる心の拠り所となりました。同じ病気を克服された方々と出会えたこと、それがわたしの二つ目 の幸せです。
わたしたちはがん征圧月間には毎年、駅前で街頭キャンペーンを行い、がんに対する正しい知識の普及やがんの早期発見のため必ず検診を受けましょうと、啓発 運動を行っております。昭和58年に設立されたがん克服者の会、「全国よろこびの会」にも、その設立と同時に福島県の団体として名を連ね、全国のがん克服 者の方と手を結び活動を行っています。
さて今年6月、がん対策基本法が成立しました。この中でがん患者や家族が初めてがん医療の政策立案の過程に参加できるようになったことは、わたしたちがん 克服者にとって、いままでの啓蒙運動がやっと実を結んだと大変うれしく思っています。わたしはがん対策基本法が成立したこの記念すべき年に、全国でがん克 服のためご尽力されている皆様をお迎えし、この舞台からがん征圧福島アピールとして訴えることができる幸せでいっぱいです。
あれから35年、いま生かされているこの命は検診による早期発見、早期治療の大切さをわたしに教えてくれました。わたしは自らの体験を通しこの世に生きている証として社会に還してまいります。
一つ、がんの早期発見のため、必ず定期検診を受けましょう。
一つ、がんの早期治療により、がん克服者となりましょう。
一つ、がんに対する正しい知識を持ち、広く社会への普及活動に手を取り合っていきましょう。
いまあるこの命とこの瞬間に感謝しつつ、わたしはこれからも全国へ「がん撲滅」を目指し訴えかけてまいります。皆様ご静聴ありがとうございました。
